在所のおばあちゃんの家にいってきた。
僕の、たったひとりのおばあちゃんの家だ。
おばあちゃんとは、昔話をたくさんした。戦時中の話が多かった。
当時おばあちゃんは名古屋の三菱に勤めていた。軍需工場だから、当然空襲の的になった。
空襲警報がなるたびに、守山の山奥まで逃げたのだという。
いまの道で、車で30分はある。それを、走って逃げたのだそうだ。
つい先日、木曽岬で不発弾撤去作業中に1トン爆弾が爆発したとき、あの日々が思い出されてゾッとしたそうだ。
空襲の影響で電車が不通になったときもあった。途中の駅で降り、線路沿いを歩いて名古屋までいったこともしばしばあったという。
いま電車が止まろうものなら……その先はあまり考えたくない。
妹を病気でなくしたのも戦時中……薬があれば助かったろうが、終戦前年の12月。薬などあるわけがない。十分な治療も施せぬまま、妹は旅立った。
妹の葬儀の最中でさえ、焼夷弾が降った。葬儀を中断し、警報が途切れた瞬間に火葬。満足に見送れなかったことが悔やまれる。
いくら物忘れがひどくなろうとも、忘れえぬ記憶。
いつかはこのひともいなくなる。
そのときにはこの記憶もまた、失われるのだ。

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Posted by CINDY