躁鬱

休みになると躁になり、平日は鬱になる。
躁と鬱とは比例する。躁が激しくなれば、鬱もひどくなる。
躁状態にあるときは、鬱状態なときのことをすっかり忘れてしまう。傍から見てもどこが鬱なのかと疑うほどに明るくなる。実際本人も驚くほどにこころが軽く、何事も楽しい。
しかしそれは鬱の裏返しであり、ふとしたことで鬱に戻る。
今日も、胃が痛い。
僕のこころを開放するものがそれ以外に見当たらない、だからこうなってしまう。
それに依存せずにはいられない、躁にならずにはいられない、他人(ひと)の迷惑も顧みずに。
そして鬱と同時に激しく自己嫌悪。
躁な自分も、鬱な自分も、僕にある側面すべてをひとつの自分だと認められればいいのに。

『うるせえな、ブタ』
『そんなこともできないの? みんなはできるのに』
『性格悪いよ、おまえ』
幼い頃から容姿も、才能も、性格も、すべてが他人に劣ると評価されてきた。
努力してもどうにもならないものが、この世にはたくさんありすぎるから。
水準以上のものを持たずに生まれてきた以上、低い評価は仕方のないことかもしれない。
もし他人に勝るものがあるとすれば、それは強すぎる劣等感。
僕はそんな欠陥品な自分が大嫌いだから、その気になればいつだって自分を破壊(ころ)してしまえる。
やりたいこともほしいものも、自分を破壊すと決めればいつだって諦められる。そういう意味では、この世に未練はない。
「この国には、生きる自由はあるけれど、死ぬ自由はないんです」
……チーフエンジニアM氏の言葉。
僕をかろうじてこの世に繋ぎ止めているのは、今まで出会ってきた人達。それは、ひととひとのつながりという鎖。
みんながいてくれるから、まだここにいられる……。

「要らない」なんて、言ってほしくない。
ましてや、それが一番大切に思うひとからなんて。
多分、<%=my '20000424#p01', 'あれ'%>は一生モノのトラウマだ。
会社からいつかそう言われやしないか。仕事が、お金がなければ、生きていけなくなるというのに。
今の僕は、多分それを一番怖がっているんだと思う。

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Posted by CINDY